ちんびろ

雑記です

パリのテロ行為とインターネットの力について考える

誰もが耳を疑い、安全を願ったパリのテロ行為で100人以上がなくなり、数百人が怪我をおった事件は、瞬く間に世界中で話題になりましたね。

 

インターネットを見ていても多くの人が関心を持っており、インスタグラムではPrayforParisと投稿してる人、Facebookでは自分のプロフィール写真をトリコロールカラーに変える人が多くいました。

 

僕は今回のこのネット上の動きを見ていて、インターネットの役割に少し疑問に思うところがあったのでそれをかこうと思います。ヘタしたら炎上するセンシティブな案件ですが、あくまでも個人としても見解で受け止めてもらえたら嬉しいです。

 

インターネットの「力」ってなんなの?

今や1日に1回、インターネットに接続しない人はいないくらい、インターネットって普及してますよね。スマートフォン、PC、タブレット、今ではテレビまでみんなネットに接続することができ、すぐに情報の海に飛び込んでいくことができます。

 

特に若い層になればなるほどインターネットはより身近なものになっており、一部新聞や雑誌、報道番組よりもネットの方が情報が早く内容も多いと感じている人も多いのではないでしょうか。

弱者の声をマスに広める究極の手段、インターネット

みなさんは2011年に起きたエジプト革命、通称ジャスミン革命をお覚えていますか?

ムバラク大統領が経済の自由化を推し進めた結果、エジプトは経済的に成長したけど貧富の格差は広がり、大量の若者の失業者が生まれ、また言論弾圧や物価の高騰で不満がたまり、民衆が立ち上がってムバラク政権は終わりを迎えた。という革命ですね。

(詳しくはWikiでも)

この革命の原動力となったのが、FacebookTwitterに投稿された、政府によって弾圧を受けていた民衆、若者たちの声だったのです。

発信された「声」により、デモに数万人が参加するようになり、民衆が政府を覆すという、まさに「弱者の勝利」を世界は目の当たりにしましたね。

世界中が既に報道している事件を、ネットで民衆がやる意味はあるのか?

ジャスミン革命のすごいところは、それまで世界が知らなかったことをインターネットが拾い上げ、歴史的なイベントに発展したところにあると思っています。テレビや雑誌では果たせない役割をインターネットが果たした理想の形ですよね。

しかし、今回の事件のように既に世界中が知っていることを、Facebookのプロフィールを変更したり、Instagramに同じ画像を何人もポストする必要はあるのでしょうか?

正直に言うとこの行為をしている人の中には、「お祭りに乗っかっているだけ」な人がいる気がします。わざわざそのような行為を行わなくともニュースをツイートしたり、募金をしたり、無事を祈ったりすることができるわけじゃないですか。

人って自分が当事者じゃない事件や事故に関して、なかなか祈れないものだと思うんですよね。事実土日に渋谷や恵比寿を歩いていると、「パリやばくなーい?」とか「うわこっわw」っていうような感じで話している人は少なくなかったです。

あなたはインターネットの「祭り」という群集心理に便乗しているだけではないですか?

それでもやっぱりアクションを撮ってる人は偉いし、認知度向上に貢献してる

ここまで書いておいてこの結論かよって思われるかも知れないですけど、やっぱり世の中にはテレビも新聞も読まない、世界のニュースを知ることができない人がいます。

彼も、日本にいる殆どの人と同じように、おそらくはこのパリの事件とは縁もなにもないと思います。

しかし、トリコロールカラーになったFacebookのプロフィール写真や、Instagramのフィードで流れてくるPrayforParisを見ることで、「世界ではこんなにひどい事件が起きている。」「テロ行為はなぜ起きたのか。」「これから世の中はテロとどう向き合うのがいいのだろう。」と考えるきっかけ、また救助物資の援助やパリ再生のための募金活動につながればいいなと考えています。

なんか最初の主張と反対になってるし、自分でも何を書いているかよくわからなくなってきましたが、なんかお祭りに乗っかっているだけの人に違和感を感じる部分があったので書いてみました。

PS.パリのテロ中に感じた本当のインターネットの力

週末に「あーこれが本当のインターネットの力だなー」と感じた事がありました。テロにあい、怖い思いやまた攻撃があるんじゃないかと不安の中にいる人達に対して、Twitter上で「困っていたらうちにおいで」というハッシュタグとツイートが広まっていたことです。

www.huffingtonpost.jp

弱者の声、民衆の結束をみた瞬間であり、本来のインターネットの力を感じました。

残念ながら日本にいる僕には何もできなかったのですが、このような活動が少しでも注目され、あってはならないですけど、万が一誰かの近くで同じように困っている人が出ていると知った時に同じように行動を起こしてくれる人が少しでも増えたらいいなと願っています。